プロフィール 〜心の履歴書〜

代表者  柴田 ゆかり

◇1964年広島生まれ。

 1歳から小学校卒業までの12年間父親の仕事の為、県北の大自然の中で生活。見渡す限りの田園風景、当時冬は1m近くの積雪。本当に沢山の貴重な経験をした。

父親の個性的な教育方針+自然環境が、今の私のベースになっている。

『常に相手の気持ちになって考えなさい!』
『人間は皆、それぞれの使命を持って生まれている!』
『人間は一生をかけて、自分を磨いていくもの!』
『自分なりの、哲学を持って生きなさい!』

幼少期から常に言い聞かされていた言葉。

人間にとって教育がいかに大切かを《三つ子の魂百まで》《鉄は熱いうちに打て》ということわざで諭された。
父にとっての教育とは、学校では教えてくれない、活きた教育の事をさしていた。
学校の勉強は、あくまでスキルである事。大切なのは、そのスキルを扱う人間の本質を高める事だと教えてくれた。生きていく上で本当に大切な事は、学校では教えてくれない!家庭教育と経験から生まれる智慧の蓄積の重要性を説いていた。

小学校は全校生徒100名余り、学年18人で1年から6年まで同じメンバー。
厳しい父親の躾けの反動で、学校ではかなり男勝りな女の子。
『1たす1は2にならない』三浦つとむ著:国土社の読書感想文を長々書いて、先生にかなり個性的な生徒だと思われていた。自分でも、自分がどうしてこんな考え方をするのか?どうして友達とは少し違う感じ方をするのか?という疑問を持っていた。


徒歩圏内に学校もお店も無い環境下、遊びと言ったら、川で魚釣り、亀取り、カブト虫・クワガタムシの採集。山の中で基地作り。りんごの木箱でカブト虫の幼虫を100匹近く飼って、成虫になるのを楽しんだ思い出。真っ暗になるまで熱中して自然の中で遊んでいた。…今思い返すと、誰でもが体験できない貴重な経験が出来た事に感謝!

デジャブがよくあり、訳が分からない感覚をひとりで抱え込んでいた。
夢の中で色んな所を飛び回っていた。

芝生に寝転がって、空の雲を見ているのが一番心が癒される時間だったのを記憶している。なぜか分からないけれど…ワクワクする気持ち、自然と対話しているのを感じていた。
不思議に、将来への夢をいつも描いている子どもだった。

この頃父親が、誰かと少し話せばその人がどんな人間なのかを察知する私の鋭い感性<直観力>を見抜き、『ゆかりはそれ(感性)を大切にしなさい。何ものにも代えられないものだ。』…私の個性を認めてくれていた事は嬉しかった。

しかしながら、父親の厳格な教育に対して強い反抗心を持っていた。


◇広島女学院中学・高等学校卒業
 同大学短期大学部家政学科食物専攻卒業

 女性としての幸せの為の教育を求めて(父親の方針)中学は幼少期から決められていた女子校を受験。
あくまで人間教育重視だった為、中学入学後は、

『勉強しなくてよい!』
『本を読むな!』
『女性は偉くなくていいから、賢くありなさい!』

と、学力は卒業できればよい。もっと大切な感性を磨くようにと言われた。私が哲学や心理学に興味を持っていたのも危惧していた父、学問から遠ざけたいのが分かった。


『女性にとって、子どもを生み育てることは、男が絶対にマネの出来ない大事業だ。男に出来ない事をしっかりとやりなさい!良妻賢母となる事が女性の、ゆかりの、真の幸せなのだから。』

父の<女性の幸せの定義>理想の女性像を私に求めていた。…それにはそれなりの理由が在り…父の姉(私の伯母)がかなりの勉強家で読書家!教員になり、父から見たら男性と肩を並べて偉そうにして可愛いくない、幸せとは思えない…姿だったらしく…そうなって欲しくない!わが娘には、女性らしい幸せを!その思いだったようだ。


勉強をやるな!と言われると、やりたくなった。本を読むな!と言われ、隠れて読んだ。父親の理想に反発していた。早く自立したい気持ちでイライラしていた。

その気持ちに拍車をかけたのが弟の存在。3歳違いの弟には、

『男は、学問をしなくてはダメだ!文武両道、部活と勉強を両立させろ!見聞を広める為に、留学しろ!』

どうして!?同じ両親の子供なのに…私はダメなの?女だからなんて!差別だ!その頃の私には男尊女卑としか感じ取れなかった。


中学三年間は寄宿舎生活。
この3年間で、社会生活、人間関係の基本を学んだ。基本は4人部屋、中高6学年の縦割りメンバー。入舎初め、高3、中3の先輩と私の3人部屋。規律ある上下関係の緊張の中、夜はホームシックでベットの中で涙を流した…。父親の厳しさから逃れられた開放感は束の間。自立への第一歩。


厳格な父親の教育に対しての反発、葛藤…その意味、答えを求めて…。

<どうして、私は生まれてきたのか?>
<何の為に今こうして生きているのか?>
<何が、本当に正しい事なのか?>

中学から高校にかけて精神世界に興味を持った。『エドガー・ケイシー』『スウェーデン・ボルグ』の本との出会い。なぜだか分からないけれど、ワクワクしながら本の中に入り込んでいったのを思い出す。
とにかく、真実が知りたい!真理を追究していきたい!という精神的衝動にかられていた。
社会の嘘や偏見、本音と建前の矛盾・・・妙な正義感が私の中で燃えていた。
学校で毎日のように聖書・賛美歌に触れたことが、精神的な安定をもたらせていたと思う。


◇独身時代

『男女交際禁止!』
『結婚は本人同士のみの事にあらず!家と家の問題。従ってお見合い結婚!』
『スープの冷めない距離に住みなさい。婿養子でもよし!』


私の青春時代は、終わったぁ〜(涙)という思いだった。

<私の自由は何処にあるのか?>

恋愛結婚したい!という思いが人並み以上に、反発心として湧き上がっていた20代前半。(すべては自然の流れ、運命に任せるしかない事など、その頃の私には考えも付かなかった。)

<自分の自由は無い!>という思い込みが自分自身を苦しめていた。

そんな葛藤を払拭する為に、熱中出来るものを探した。
<料理研究家志望>小さい時から料理に興味を持ち高校時代から料理教室に通っていた事もあり、父親の“良妻賢母”理想にも賞賛される!一石二鳥!(父には花嫁修業程度と言っておいた)
病院栄養士・料理教室助手・専門学校栄養料理講師・フードコーディネーター;メニュー企画(三〜四足のわらじ生活)とにかく、料理に関して吸収出来る事は何でもやりたい!そういう思いで頑張っていた。これだけは!誰にも負けない!と思えるものを得る為に、必死になっていた。

そんなある日、中高時代の恩師、長谷部光子先生に『母校の家庭科の先生にならない?貴女には先生が向いてると思うよ。推薦するから。』というお話を頂いた。私は今もその事を自分の誇りにしている。自分の人生の自由と希望を半分諦めていたあの頃の私にとって、先生の言葉がどんなに励みになり、支えになった事か・・。

<頑張っていれば、誰かが認めてくれる!>

今も長谷部先生とは素敵なお付き合いをさせて頂いている。先日も広島でお会いして昔話で盛り上がった。新しい仕事の営業活動にもお付き合い下さった。私の心の支えでいて下さる。どんなに感謝してもし尽くせない…長谷部先生!本当にありがとうございます。


父の考えに背くとも、教師になる事を目指してみようと思った。
肉親以外の人に、自分を認めてもらえた事で私は少し強くなった。

そして、父親の事も受け入れる心のゆとりが少しずつ・・・生まれてきた。

お見合い結婚もひとつの出会い・・・その代わり自分が『この人!』と思える人と出会うまで、何百回でもすればいい。『運命の人にめぐり逢えるまでは結婚しない!』それだけは貫き通す!と決めて、快くお見合い写真を撮った。

その写真が出来上がって間もなく!
主人との運命の出逢いが待っていた。

そう、そのお見合い写真が手元から離れる事はなかった。

ひとつの執着心が無くなった時、新たな変化が生まれたのを不思議な感覚をもって記憶している。


◇結婚

 出逢いについては、説明が長くなりすぎるので、詳しくは後日として・・・。

一冊の『本』が私達を結びつけてくれた。その本とは、私の主人の父親が書いた本。
その中に、私の父親の事(仕事の事)が書かれており、その事を知った父が感激し、お礼の連絡をした事がきっかけとなった。両親同士、弟同士が先に知り合った後、私達は出会う。

初めて主人と会った時、
『なんだか…初めて会った気がしない!?…懐かし〜い人に逢った感じがする…。』
そう思ったのを今もその時の情景と共に鮮明に覚えている。

二回目に会った時、
『何があっても、この人を守らなければいけない!!!』
なんで、私が5歳も年下なのにこんな事思うんだろう?と、不思議に感じた。

その後色々なシンクロニシティー(意味ある偶然の一致)が起こった。理屈では説明のつかない出来事が私たちを結び付けていた。運命を実感した。
それまでの夢も捨てて、結婚する決断をした。

その答え、意味がここ1年くらいの間に次々と分かってきた。
主人とは、深い魂の繋がりがあるという事・・・すべて納得できる事だった。

これは私達に限った特別な事ではなく、誰でも皆にあてはまる、自分自身が決めてきた事だということを認識できた。


結婚後2年半、主人の家族との同居生活。嫁姑問題経験。母親の息子に対する愛情は深い。自分も息子を持ち、姑の気持ちが痛いほどわかる。すべての経験が今活かされている。すべて必然的な事。経験こそ宝!

専業主婦に専念。主婦はクリエイティブな仕事だと実感!主婦の演出力が試される。家庭の雰囲気は主婦次第、ムードメーカーの役割は重大。

1男1女の母親。子育てはひとりの人間を育む大事業!確かに父親の言っていた通りだと実感!この大切な大事業!誰も評価してはくれない・・・。主婦業もしかり。

『あなたは会社で評価されるからいいけど!私は何の評価もされないのよ!』

まだ子供達が小さい頃、爆発して叫んだ。

家事・子育て、信念を持たずして挑むにはかなりのストレスになる事を実感。評価の対象を子どもの成績などにすり替えてしまう可能性が高い。親業は深い。何かと数字で表す評価ばかりの社会で、評価されにくい子どもの個性を伸ばせる親でありたいと思う。(親になってみて、父親の愛情の深さと信念の強さを実感。)

子どもの成長段階による変化。手がかかっていた時期は、早く成長して欲しい!と願ったもの。いざ、大きくなってみると・・・反抗期、思春期と・・・精神的サポートは一筋縄では行かない。肉体的なサポートの方が、楽だったと・・・日々、子どもと共に成長する!自分だけでなく、主人と一緒に共同事業として、楽しむゆとりを持つことで上手くいくようになってきた。


夫婦間の精神的な変化。子育てに関して、お互いの考え方の違いが浮き彫りになるのを相互理解のチャンスと捉えて、コミュニケーションを深め、日々成長している。(もちろん!まだまだ・・・発展途上!現在進行形)

主人の独立(会社退社)で、内心<ホッ!>としていた。目に見えない影響をかなり受けていた私にとっては心身共に楽になれたのが真実。理想体重にも近づき、心のデトックス効果を実感。

主人が主人らしくイキイキと生きている事を一番!、肩書きや世間体は二の次状態でいた事で、『人生の転機』にすんなり対応できた。

精神・心理的な面で、様々な体験をしていたのも良かったと実感。色々なセッション、レイキヒーリング、クリスタルヒーリング、ヒーリング音楽、ホメオパシー、アロマテラピー、フラワーエッセンス、ヨガ・・・あらゆる自分の感性に響くものを体験。

予想以上の効果があり、家族のあらゆる面での安定によい影響。
特に主人の仕事のストレスに対して貢献していた。
今も、必要なものは取り入れて自分なりに活用している。

あらゆるバランス感覚が大切なことを心身共に実感する毎日。

これから先も、様々な経験と共に心豊かに生きていけることを願っている。


5年前に他界した父。
あれ程までの信念で私を愛してくれた事、今更ながらに・・・日に日に、感謝の気持ちは大きくなっていく。

『親の意見と冷酒は後になってから効く!』
『何事も、バランスが問題だ!』

まだまだ・・・数え切れない程の、父の言葉が、私の中に詰まっている。
父が、私の『心のお守り』になっているのだ。

<この世で、たとえ独りになったとしても、信念(自分の真実)を貫いていこう!>

そう思えるのは、父が永遠に私の中で生きているから。

すべてが必然だったのだと、今はわかる。


私も、家族の『心のお守り』になりたい!


◎最後まで読んで下さって、本当にありがとうございます!
 心より感謝いたします。




取締役  柴田 明彦


◇1959年 東京生まれ

〈1960年代〉・・・渋谷区神宮前で過ごした幼年・少年期。

周囲は教育熱の高い環境だった。従って当時“進学校”と言われた港区立・青南小学校へ“越境入学”。偏差値教育の洗礼はこの頃から受けていた。
アウト・ドアー志向が強く神宮外苑及びその周辺、根津美術館庭園などが遊び場だった。

〈1970年代〉・・・第二の故郷・横浜で中学・高校生活を過ごす。

1969、8月(小学校4年夏休み)に横浜へ移転。自宅周辺に“自然”が残っていたのが何よりも嬉しく感じたことを思い出す。
公立小学校・中学校を卒業、明治学院高校に進学。都内港区白金まで1時間以上かけて通学。背伸びした高校生活だった。

〈1980年代〉・・・大学卒業、全力疾走の20代ビジネスマン、そして結婚。

1983年 慶應義塾大学法学部政治学科卒業、同年(株)電通入社。
大手広告サラリーマン道一筋!勝つか負けるかの二元論の中で20代を走り抜けた。
プライドと驕りの区別が付かないでいた。
1989.9.15ゆかりと結婚。この結婚記念日がその後深い意味をもつことになるとは当然予想していない。

〈1990年代〉・・・2児の父親になるも怒涛の企業戦士30代。

平日は母子家庭状態、せめて休日は家族単位での時間と空間を大切にしたいと考えた。
所謂“オンとオフ”の切り替えは徹底していたと自負している。が、一方で職場人間関係のストレスが自分の精神面にダメージを与え続けていたことには気が付かなかった。
立場、ポジショニング、権威に対して、また誰か、何かと無意識に対比している自分があった。比較対象があって自分の位置付けを保つ・・そんな状況。

〈2000年〜〉・・・部長稼業、辞表、退社そして起業。

23年間のビジネスマン生活、会社に捧げた生活にピリオドを打つ。
この間、肉体的精神的に大きな支障なく過ごせた事は、妻ゆかりと夫婦としてのバランスがとれていたからだと思う。
平均帰宅時間が深夜2〜3時、週末は出張、会合参加、イベント立会い等の生活で、彼女との“絶対的共有時間”は多くなかった。その僅かな時間であり離れていても彼女の精神的支えが自分を勇気付けた。
23年間のビジネスマン人生を振り返って“人間力”の重要さを学んだ。様々な要素のバランス感覚を身につけて初めて人間力も増してくるものと確信した。

2006.6.26会社設立。人生の折り返し地点、心を満たす生き方を選択する決断。とは言うものの精神的なブレを支えるパートナーとのバランスの重要性を実感。
これまでの、物質主義一点張りの生き方に、スピリチュアリティーをバランスよく組み込んだ生き方をしたいと考える。パートナー、家族との時間が心の支え。
自分の特性、経験を活かし、若い世代に『ビジネス&人間力』の重要性を提唱していきたい!